日本および世界のさまざまな分野で活躍するこだま寮(五ヶ瀬中等教育学校寮)卒寮生の進学とキャリア形成の経験を現寮生に届ける月刊インタビュー誌

#006井上 慶太朗

2019.08

井上 慶太朗

2003年卒

延岡市役所取材時は宮崎県東京事務所(宮崎県庁)に企業誘致担当として出向中

【略歴】
1984年延岡市に生まれ。2007年東京農業大学 応用生物科学部 醸造科学科を卒業後、宮崎県の焼酎製造メーカーである神楽酒造株式会社に入社。新商品開発や製造過程の微生物(麹菌や酵母)管理などを担当した。その後、昆布関連製品を扱う株式会社くらこんの九州工場で1年間の勤務をへて、延岡市役所に入庁。宮崎県庁への出向を経験し、県東京事務所にて企業誘致の業務に従事。

東京から宮崎を元気にしようと活躍する井上さん。大学を出て理想の企業ではたらいたのち、公務員になった背景にはある想いがありました。五ヶ瀬時代のエピソードも必読です!

|今のお仕事|宮崎での仕事を増やし、戻ってきやすい環境をつくる

宮崎県東京事務所では、宮崎県内に様々な仕事を生み出すことを目的として、地方拠点の設置を検討している多くの企業に進出していただけるよう、積極的に誘致に取り組んでいました。このため、企業誘致担当として首都圏を中心に様々な企業を訪問し、自然環境や子育て環境、首都圏とのアクセスの良さ、物価の安さなど他の都道府県と比較した際の優位性や進出に際しての補助制度をPRすることが日々の活動です。その結果、近年ではインターネット環境さえ整っていればどこでも働くことができるICT関連企業に支持してもらい、相次いで進出いただいています。また、進出していただいた企業に対して、定期的に訪問して不安の解消や成長のサポートを行うことも、県内の仕事を増やすために重要な業務の一つです。

|これまでの道のり|天職との出会いと故郷で見えてきたもの

学びの森に在学中にはこれといって将来の夢を描いてはいませんでしたが、唯一、食品関連に興味があったので、それらが学べる大学に進学しました。その選択が私の転機といっても過言ではありません。焼酎を含む酒類製造との出会いです。酒類の製造・研究は非常に魅力的で、学べば学ぶほどそのとりこになっていきました。焼酎は宮崎を代表する地場産業の一つでもあるので、将来自分が宮崎に戻り焼酎メーカーで働いている姿が容易に想像できました。そして、それは現実となりました。

焼酎メーカー就職後は、とにかくがむしゃらに仕事しました。半分趣味みたいな仕事ですし、業務を進めれば進めるほど新たな発見も多々あり、また誰かにやらされる仕事ではなく、新入社員の頃から上司や同僚に自らの考えを聞いてもらえる環境だったことも重なり、非常に楽しかったです。

そんな天職だった職業を辞め、今の職に就くきっかけとなったのは、結婚して家族ができたことと延岡に住む仲間の存在です。延岡では自然環境が身近にあり、私と妻の両親も居住していることから、育児する環境としては抜群だと感じていました。そこで今までつちかった経験が少しでも活かせそうな、昆布関連製品を製造する延岡市の会社に再就職しました。そして地元にもどって、小さいころから深い関係が続く仲間と接しているうちに、今まで見えていなかった地域の課題などを感じるようになりました。私を支えてくれている家族や仲間が今後も延岡で幸せにくらすためには…と様々なアプローチを考えた時に、行政の仕事が延岡市民の生活の充実度に一番役立てると思いが強くなり、現在にいたります。民間企業にいたころは、限られたフィールドをつきつめることが優先でしたが、行政の仕事はあつかう業務の幅が広いので、自分の幅が広がります。分野をこえた柔軟な発想が生まれ、応用力のある考え方ができるようになるのです。もう一つの大きな違いは、仕事のスピード感です。民間企業の方が圧倒的に早い。特に業務でお会いする首都圏の民間企業の時間の流れは、宮崎と比べて圧倒的に早いと感じます。

|ワーク&ライフ|家族と楽しむ東京生活

仕事では企業への訪問活動にそのほとんどの時間を割いています。そのため、毎日10,000歩以上は歩いているでしょうか。宮崎での生活では日々車を利用してきたので、歩くということの大事さを改めて実感しました。日々の業務では比較的自分で予定を立てることができます。そのため、家族との時間を大事にしています。優しくかわいい(笑)妻と悪ガキ二人と共に家族で東京に上京していますので、休日は宮崎ではなかなか経験することができないこと、特に子供に経験させてあげたいことを見つけてはよく外に出かけています。先日はシルク・ド・ソレイユの公演を観覧し、家族全員が大興奮でした‼︎

|五ヶ瀬での経験|考え抜いた「退部事件」からの学び

部活を通しての経験が印象深いです。サッカー部に所属して、中・高共に主将を務めさせてもらいました。あれは高2の秋頃だったでしょうか。私は「退部事件」を起こします。当時、高校総体の県予選で2勝して入場行進をするという目標を掲げていたのですが、練習方針に疑問を持っていた部員が多く、チームワークが明らかに欠けていました。そこで当時の自分は色々とチームが一致団結するための策を考え、これしかないと思った末に退部届を提出しました。いきなりのことにチーム全員が驚き、険悪なムードになったことを覚えています。そこから顧問と部員が本音でガチンコでぶつかり合い、紆余曲折をへて私も復帰し、目標であった高校総体の入場行進ができました。振り返るとこの方法自体よい解決方法ではありませんが、失敗を乗りこえるためのプロセスを考えることは社会人になって大変活きています。失敗から学ぶことは多々あり、その後の人生において確実にプラスにはたらきますので、失敗を恐れずにチャレンジしてほしいですね。

|後輩に一言|やらされる経験はもったいない‼︎

せっかく五ヶ瀬で生活しているわけですから、五ヶ瀬でしか経験することができないその貴重な経験を、他人事ではなく、当事者として積み重ねていって下さい。今その瞬間を大事に‼︎

影響を受けた音楽
Sons Of Bitches United & True / SOBUTインディーズパンクの一時代を築いたバンドの3rdアルバムです。当時コピーバンドを結成しており、無我夢中にギターを弾いてました。私の青春が詰まった思い出の一枚です。
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